意識高い労働者などについて2010年くらいに書いたテキスト

※おそらく2010年くらいに書いた下書きを成形して公開。2024年の今読んでみるとどうだろうか。

 どこかで見かけたんだが、前の衆院選(2009年8月)で民主党が圧勝した理由を「『改革』っぽい雰囲気を醸し出したから今回は民主党が圧勝した。小泉自民党が圧勝した時と同じ構造」というふうに書いているところがあった。
 私は、少し違うことを思った。
 自分以外の、どこかの甘い汁を吸っているケシカラン連中がいて、そういった連中にくっついている特権やカネを政権(例:小泉政権や橋本龍太郎政権)が剥ぎ取ってくれて自分の生活に回してくれる、という「改革」を期待していたら、実は「改革」の対象は自分自身(や自分自身の生活に関係の深いところ)だったでござる、というのがここ10年くらい(もっと?)の「改革」の実態で、そんな「改革」はもうこりごり、という流れなんだと思った記憶がある。
 自分の負担が増えるが福祉や公共サービスは削られる一方だ不況だ生活が苦しい、ということになっているけど、実は結構余裕のある人が多いのか、自分だけはカタワやキチガイや乞食にならないと固く信じている庶民様は相変わらず多いのか。

 ……なんてことを書いたときにはそこまで考えてなかったのでちょっと考えてみた。「自称中流」問題と言ったほうが適切なのかも。
 あと、もう一つ頭に浮かんだのは、「経営者の立場に立ってものを考えろ」問題。どういうことかと言うと、(2010年くらい時点での)ここ何年かの労働者内での流行に「経営者の立場に立ってものを考えろ」というのがあるが、それに変なかぶれかたをして勘違いした労働者風情が「経営者視点(キリッ」でものを語ったりするんですが、彼らの「経営者視点」だと何故か「自分自身が首切りされる」ということは微塵も想定されていない。
 碌に働かない、生産性の低い社員がいる、そういうのが会社全体の利益を損ねてカネを無駄に食っている!経営者的視点から見たらけしからん!合理化だ!リストラだ!頑張っている人にはそういうヤツから剥ぎ取って待遇をあげるべきだ!もちろん俺は待遇の上がる側!と。
 実際そういう面はあるのでそれは100%間違っているわけではないですが、それを語る自分自身は本当に生産性を上げているのか?待遇が上がる側の人間なのか?「自分が頑張っている=会社に貢献している」とは限らないわけです。というか労働者であるおまえを評価するのはおまえじゃないんだよ。
 会社の話に限らず、「俺は頑張っているから首にならない」「俺は改革の対象にならない」とあまりに無邪気に信じすぎている人が多いのでは?実は私(や他の誰か)は見る人によっては目に余る穀潰しかもしれないし、他人を搾取して甘い汁を吸っている特権階級かもしれないわけです。

 まーあとはさんざん他の人も言ってますが「自分より下を探してそれを血眼になって叩いても自分の冴えない人生は何も良くならないよ」問題とか。表現は違っていても全て同じような人間の性を指しているのでは。

 なんてことをつらつらと考えました。

 話はもう少し続く。あとは、「自分はエリートでもなんでもないのに物言いがやたらエリートかぶれ(しかも変な方向に)で、もしも社会や制度がおまえの言うとおりになったらおまえが一番割を食うんじゃね?」問題とか。

 梅田望夫氏の「ウェブ時代をゆく」という本がある。昔こんな感想を書いた。

 あと、アメリカのコンサル屋さんゲーリー・ハメルの書いた「経営の未来」という本にも似たようなニオイを感じた。

 で、こういう人達の語る「新時代の企業活動のありかた」「人間の生き方のありかた」というのは、エキサイティングで楽しそうだ!という面もある一方で、厳しさや残酷さもあるわけ。もちろん、それが未来のスタンダードになっていく可能性もあるわけだが。
 こういう未来像は俺に利益をもたらすんだ!という考え方はアリだし、私もそういう夢想をしがちなのだが、それによって自分自身が消耗し疲弊していく可能性について考えてみてもいいんじゃない?とも思う。
 で、もっちーやゲイリーさんも、新時代の生き方の厳しい一面にも一応は言及しているわけだが、にもかかわらず、脳天気にそういった厳しさは全く目に入っていないように見えるレビューや読書感想文を目にする。「おまえ本当にこの本読んだの?」と言いたくなるような。

 もちろん、こんなことを言う私みたいな人は、かつての産業革命直後の「機械打ちこわし運動」者と同じ扱いになるのかもしれないが、「技術の発展によって人間はラクになると思っていたのに全然ラクにならんなあ」とも思うわけ。つーか、労働者であるおまえ、そこのおまえだよ、あんたラクになったんか?

 最後に、梅田望夫のこの日記。

 「尋常でない体力の持ち主だけがサバイバルできる」だそうですが、ハイハイそれっていつの前近代?とツッコミを入れたくなる。というかそういうツッコミも出来ないほどみんな知能が疲弊しているのか?

コロナ禍でマスクを憎む人が生まれた

 コロナ禍が押し寄せて来た時、いわゆる「マスク警察」が問題になった。マスクをしない人に攻撃的になるというアレ。

 で、マスク警察に対する批判も出てきた。そのこと自体は良いんだが、その中からおかしな考え方が生まれてきた。

 マスク着用者を嘲笑ったり攻撃的な言葉を浴びせたりする、しかも支離滅裂。酷くなるとマスク自体を敵視する。

 曰く「もうマスクしていないのが多数派、マスクしてるのは少数派だからアホ!」(マスク着用者が多数派だった時、あなたはアホだったんですか?)、あるいは「他人がマスクしているかどうかなんて俺も皆んなも気にしていないんだよ!」と言ってた人が「今外に出るとマスク着用者はn割くらい、まだマスクしてるバカがいる」などと言っていたり(他人がマスクしているかどうかなんて気にしていないって設定はどこいった?)。

 コロナ禍というのは、人間の知性や思考力に関する残酷な現実を浮き彫りにしてしまったのだ。マスクそのものに敵意剥き出しの人に至っては、コロナ前もそんなにマスクを憎んでいたのですか?と聞きたくなる。

 

2024年3月2日の新聞記事

 中日新聞の記事より三点。まずは高木毅に関するもの。

中日新聞 2024年3月2日 朝刊

自民党派閥の政治資金パーティー裏金事件を受けて1日開かれた衆院政治倫理審査会で、発覚時に安倍派事務総長だった高木毅前国対委員長(衆院福井2区)は「関与していない」「分からない」を繰り返した。地元の有権者からは「本当とは思えない」「説明が不十分」と厳しい声が相次いだ。

中日新聞 2024年3月2日 朝刊

パンツ戦争」の高木毅さん、何も新しいことを語らず。嘘をついてもペナルティーが無い政倫審という状況。地元有権者の声が載っている。責任のなすり付け合いに余念がないもよう。素晴らしいですね。

続いて、柿沢未途被告の東京地裁公判に関する記事。

東京都江東区長選を巡り区議ら10人に計約280万円の供与や申し込みをしたとして、公選法違反(買収など)の罪に問われた前法務副大臣の元衆院議員柿沢未途被告(53)の公判が1日、東京地裁で

中日新聞 2024年3月2日 朝刊

検察は懲役2年を求刑。さらに、「公判で事件の経緯に関する説明を避け真摯な反省はみられない」と主張。

最後に、三重県の津田健次県議のハラスメントに関する記事。

津田県議は1月19日に委員会室で雑談中、元看護師の吉田県議に「今度風邪をひいたら、あやちゃん看病に来てね」と発言。吉田県議が「2万円もらったら行きますよ」と返すと「来るときに看護師の格好をしてきてもらおうかな」などと続けた。

中日新聞 2024年3月2日 朝刊

津田健次県議は「これまでこのようにコミュニケーションを取ってきた。会話がしやすい雰囲気をつくろうとしたつもりだった」と言い訳。コミュニケーション・会話がしやすい雰囲気、などと言えばハラスメントが正当化されると思っている知能と人間性、素晴らしいですね。

安全と水はタダか?

 岩明均の漫画「寄生獣」、作品終盤に美津代という人物が登場する。美津代が観ているテレビの討論番組でコメンテーター(舛添要一似)が「日本人は安全と水はタダだと勘違いしている」という旨の批判をし、それを観ていた美津代は「そんなもんタダに決まってる」と毒づいていた。

 最近になって、上述のこのシーンを思いだすことが増えた。「日本は治安が良くインフラが整備され安価に医療にアクセスができて〜」という言説にどんどん違和感が生じているからだ。今はまだそう言えるかもしれないが、そういう社会だったのを寄ってたかって壊してきて今も嬉々として壊しているのが日本人ではなかったか?

 「将来の日本はこうなる」「正規雇用などという特権がなくなり〜」とか、「AIに仕事を奪われるいやそんなことはない」、などと姦しい。それはいいのだが、賢しらに語っている人たちの中にも、「日本の安全はタダで未来永劫それが続く」という前提を疑いもぜず得意気に将来の日本について講釈を垂れている人たちがいる。これが「平和ボケお花畑」ってやつですかね。

Amazonリンク: 寄生獣

27周年

 27年が経ちました。今の自分の姿を27年前の自分は想像していただろうか?

 だいぶ前からそうだったけど、「お金が得られないならブログやってる意味がない、報われないならブログなんかやっても仕方ない」という考え方がある。ブログを始める動機が金を得ることだというのは否定しないし私だってお金は欲しい。でも、「自分の書きたいことを書いて誰かに読んでもらいたい」「極端な話、誰も読んでいなくても構わない、とにかく書きたい」から個人ホームページを始めた私には「お金が得られないからブログやっても仕方ない」という考えは理解はできるがピンとこない。

 インターネットで金儲けなんてとんでもない!もっての外!という感覚があった人、それを覚えている人、そもそもそれを知っている人、はどんどん少なくなっている。

 アクセス数やダウンロード数に価値を見出している人たちが宇宙人に見える時がある。その数字、そんなに有り難がったり目標として(時に金をかけて)追うような価値があると思ってる?正気か?と思うことが今でもあるけど、正しい人はそういうことをそもそも考えない。

2024年1月6日の新聞

 2024年正月は少し遠出をしていた。普段目にしない地域の新聞を読む機会があったので紹介がてらメモ。

 2024年1月6日の中日新聞。能登半島の大地震よりも経済団体へのご機嫌伺いが大切な岸田文雄総理の記事。経済団体の人たちのご金言の中に見覚えのある名前が。

経済同友会の新浪剛史代表幹事は「可処分所得を増やすことが重要。社会保険料が上がらないよう取り組んでもらいたい」と注文を付けた。

中日新聞 2024年1月6日 朝刊

増税に関する発言で批判されてきた経済同友会の新浪剛史代表幹事(サントリー社長)の名前を見つけた。不穏な発言を公の場マスコミの前でした人物に対する批判を声を挙げて実施することが如何に重要なことかがよくわかる。「声をあげたところでどうせ何も変わらない」などと賢しらに放置していたら今もふざけたことを放言していただろう。私は「〇〇不買運動」的なことをしたことがないのだが、サントリー製品に関しては今も不買を続けられている。

 続いて同記事に、三井不動産の植田俊社長の発言があった。

バブル経済崩壊後に業績が悪化した日本企業は人件費を抑え続けた。だが「ここにきて間違いだったと気付き始めた。付加価値が正当に評価されないし、報われない」(三井不動産の植田俊社長)

中日新聞 2024年1月6日 朝刊

 いま気付いたんか植田俊。バブル崩壊から何十年経ったんだ。

 そして、2024年1月1日 16時10分頃に発生した能登半島地震の被害状況。被災者・被災地が見捨てられることのないよう、納税者として国や自治体に求める。

能登半島地震の主な被害 2024年1月5日午後4時までの、石川県などへの取材に基づく

中日新聞 2024年1月6日 朝刊

“誰も傷つかない”SNS

 2023/9/24にDYSTOPIAというSNSがリリースされた。投稿をAIが検閲し、必要に応じて表現を変えてタイムラインに表示される。

 色々試してみるユーザがいるようだし、ChatGPTの課金の都合で投稿ができなかったりと色々あったみたいだが、私もアプリを入れて試してみた。

「釣りキチ」「釣りバカ」は検閲されたが「釣りキチ三平」は検閲されなかった。

 また、「親はなに躾けてたんだ?」は検閲されなかった。されないのか。

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/spv/2309/25/news103_0.html

嫌いな連中に自分の意見を決めてもらう人生

 さまざまな話題(2023年9月現在だと、インボイスとか神宮外苑再開発とか)に対して「自分はこう思っているんだけど、嫌いな連中が自分と同じ意見を言っているので意見をいう気が失せた/自分は間違っているんじゃないかと不安になった」という旨の発言をしている人を複数(というかかなりの数)見かけて素朴に驚いている。

 仲の良い人・好きな人だからといってその人が自分と同意見とは限らないのと同じで、たまたまある話題に対して嫌いな連中が自分と同じ意見を持ったとしても「まあそういうこともあるよね」なのではないか。

 ただ、忌避感や不安を鎮める解決法が無いことはない。あなたの嫌いな連中の発言を日々観察し、あなたはそれと反対の意見を“自分の意見”として採用すれば良い。

 それって「嫌いな連中に自分の意見を決めてもらう」ってことなのだけど、嫌いな連中が自分と同じ意見を言うことに忌避感を持ったり不安になったりしてしまうのであればそうするしかない。他人はコントロールできないのだから。

 それってしんどい人生だなあと私は思うが、そうは思わない人が実は多数派で「普通」なのかもしれない。

コロナ対策にマスクは不要!な人の考えかたの一例

 今も続くコロナ禍において、マスクをしないという選択を続けている人がいる。その人のものの考え方が特徴的だったので所感を書く。

 このかたは以下二つの旨、発言していた。

 まず、2023年にマスク着用が原則任意になったが、それ以降マスク着用者が減っているのを見て「(2023年9月現在)半数以上は素顔の中、いまだにマスク着用しているサラリーマンの方々、アホやなぁ」と発言していた。

 そして二点目。「(コロナ感染者が)最近増えてきているらしいからって、それって何処で?あなたの周りでバタバタ死んでいるんですか?テレビのニュースとかで、どうやら増えているらしいって報道されてるだけじゃないの?」とも。

 まず、マスク着用している人をアホと言っている根拠が「半数以上は素顔」であるという点。この考え方を採ると、2021年2022年当時の、マスク着用者が多数派であった状況においてノーマスクを貫いたこの人は「アホ」ということになってしまう。当時半数以上はマスクをしている状況だったのだから。ご本人はそれでいいのだろうか?

 そして定点観測でコロナ感染者が増えていることは普通にニュースになっている(例:NHK)。学級閉鎖もニュースになっているし(例:読売新聞)、自治体からは学級閉鎖等の情報も公開されている(例:荒川区)。

 また、「自分の周りでコロナ感染者がいない・コロナ死した人はいないのだから感染者は増えていない」という展開は筋が悪い。「私の周りで強盗や殺人は起きていない。ゆえに強盗や殺人は存在しない」と発言したらそれこそ「アホやなぁ」と言われてしまう。

 マスクしてる連中はアホ!コロナ感染は拡大していない!という世界観に浸る自由はあるが、自分の表現することに自己ツッコミを入れる訓練は採り入れたほうがいいと思った。他山の石。

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人に向けて自転車のベルを鳴らす問題

 2023年6月に「自転車に乗っている時に、進行方向に歩行者がいた。その時に自転車のベルを注意喚起のつもりで鳴らしたら歩行者にキレられた」という記事を目にした。

 まず、自転車のベルは車のクラクションと同じでむやみに鳴らしていいものではない。あくまで非常時に鳴らすものである(道路交通法の第五十四条(警音器の使用等)2項)。しかし、自転車は乗るのに免許が必要なわけではない。ベルはむやみに鳴らすものではないということを知らない人も多いだろう。

 自転車に乗っていて、前方に歩行者がいたとする。その時「自分が通ることを歩行者に知らせるために自転車のベルを鳴らすのがルールやマナーである」と考える人は実は多いのではないか。

 自転車のベルを鳴らす際に、「自分はルールやマナーを守って、前方の歩行者に自分の存在を知らせるためにベルを鳴らしている」とピュアに思っている人は多いのではないか。そして、それを自分の子供に教えている人もいる。というかそういう人を見かけたことある。

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