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「偏向やデマを流す」ことが正当化される場合とそうでない場合がある?

 マスコミが偏向報道をしたり時にデマを流したりすれば批判の声が上がる。それは当然のことだと思う。そして、インターネットにおいてはブログやSNSなどで、マスコミでない個人や団体が時に偏向した情報やデマを流す。そしてそれに対して批判の声が上がる。
 …と思っていたのだが、「ブログやSNSなどで、マスコミでない個人や団体が時に偏向した情報やデマを流す」ことに対して「情報の真偽は受け手が判断すればいい。インターネットは正しい情報しか流しちゃいけないの?」というようなご意見を目にした。
 「情報の真偽を受け手が判断することの重要さ」と「偏向やデマを流すことに対する批判」は別物なんだけれど、それをごっちゃにするテクニックを目の当たりにし感心させられたがそれはまた別の話。

 もちろんマスコミは「公器」であり、ネームバリューも(未だになんだかんだ言って)高い。ゆえにマスコミがいい加減なことをしてもらっちゃ困る。
 しかし、マスコミでない個人や団体がいい加減な情報を流布することに対して「情報の真偽は受け手が判断すればいい。インターネットは正しい情報しか流しちゃいけないの?」と言ってしまっていいのだろうか?

 ここからは自分の仮説になるのだが、「マスコミを叩くことありき」な人がこの手の発想に陥りがちなのではないか。あるいは「自分が気に食わない対象を叩くのに使えるデマや偏向」はオッケーだと考えているのではないか。

 マスコミでない個人や団体が流す情報に対して「情報の真偽は受け手が判断すればいい。インターネットは正しい情報しか流しちゃいけないの?」という発想を採用すると、マスコミが偏向やデマを流すことだって「マスコミが偏向やデマを流そうともそれは受け手が判断すればいいのではないですか?マスコミは正しい情報しか流しちゃいけないの?」ということにもなりかねない。私はそういった意見を採ることはできない。

「今の若い世代が現在の自民の経済政策で恩恵を被っているから支持していて、若い世代は新聞をとる余裕もない」

 画像で示されたツイートを探したのだけれど、見つからなかった。この画像で示された「knt(黒猫亭) @chronekotei」氏のツイートを以下に書き起こす。

新聞読まないから自民支持になるんじゃなくて、今の若い世代が現在の自民の経済政策で恩恵を被っているから支持していて、若い世代は新聞とる余裕もないし必要も感じていない、情報はネットで取るから結果的に新聞の情報操作も受けにくい、そういう順序だろうな。
2018年06月26日 11:27

 さて、「今の若い世代が現在の自民の経済政策で恩恵を被っているから支持していて、若い世代は新聞とる余裕もない」とあるのだが、それって「現在の自民の経済政策で恩恵を被っている」のだろうか?素朴な疑問。
 「自民の経済政策で恩恵」とは具体的にどんな恩恵なのだろうか?「新聞とる余裕もない」くらいの「恩恵」とは?

 因みに、2018年6月27日現在の読売新聞購読料金は下記の通り。

セット版地域(朝・夕刊) 1か月 4037円 (税込み)
統合版地域(朝刊のみ) 1か月 3093円 (税込み)

 まさに「経済は嘘つかない。」

 

 

※2018/6/28追記:本エントリ冒頭で「画像で示されたツイートを探したのだけれど、見つからなかった」と書いたが見つけることができた。当該ツイートは以下の通り。

謝罪になってない謝罪テクニック事例:穴見陽一議員の場合

 2018年6月15日の衆院厚生労働委員会において、参考人として招かれた人に「いい加減にしろ!」とヤジをとばした穴見陽一議員。

https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/judoukitsuen-yaji-anami

受動喫煙対策が議論された衆院厚生労働委員会で、6月15日、参考人として招かれたがん患者が意見を述べている最中に、自民党の穴見陽一議員が「いい加減にしろ!」とヤジを飛ばしていた。

 そして、穴見陽一議員は『「お詫び」と題したコメントを発表』。
https://www.sponichi.co.jp/society/news/2018/06/21/kiji/20180621s00042000143000c.html

「この度、去る6月15日に行われた衆議院厚生労働委員会において、参考人のご意見の際、私が『いい加減にしろ』といったヤジを飛ばしたという報道がありました。まずは参考人の方はもとより、ご関係の皆様に不快な思いを与えたとすれば、心からの反省と共に深くお詫び申し上げる次第でございます」と謝罪。
 「もちろん、参考人のご発言を妨害するような意図は全くなく、喫煙者を必要以上に差別すべきではないという思いでつぶいたものです」と釈明し「とはいえ、今後、十分に注意して参りたいと存じます。この度は誠に申し訳ありませんでした」と謝罪の言葉を繰り返した。
 穴見氏は大分1区選出で、ファミリーレストランを展開する「ジョイフル」代表取締役相談役。

 「ご関係の皆様に不快な思いを与えたとすれば、心からの反省と共に深くお詫び申し上げる次第」という教科書通りの様式美。典型的な「謝罪になっていない謝罪文」。穴見さんの言動は悪くないですよね。不快な思いをした側の問題ですものね。

 さて、それはそれとして、穴見陽一さんの「お詫び」を読みますと、穴見さんは以下のようなお考えをお持ちのようです。

  • 受動喫煙をしたくないという発言は「喫煙者を必要以上に差別す」る発言である
  • 必要であれば喫煙者を差別してもよい(必要な差別というものが存在する)
  • 参考人や傍聴者に聞こえるように「いい加減にしろ!」と「つぶやいた」(ヤジを飛ばしたのではない)

 わたくし学も教養もない頭の悪い人間ですので、さっぱり意味がわかりません。ただ、議員は自分の発言・言葉を軽視すべきではないと思います。

参考リンク:穴見陽一公式サイトのプロフィール


心の構造ー意識的と無意識

 放送大学のラジオ「心理カウンセリング序説 第9章」をたまたま聴いていたのだが興味深い内容だったのでメモ。私が勘違いしている可能性もあるので以下の話は真に受けないように。

  • 自己治癒力を活性化させるのが医術で、カウンセリングも似たようなもの
  • 夢:意識と無意識が深くかかわっている
  • 夢には比喩的なイメージが現れる(例:国会に外国人グループやロックグループが現れる)。夢はクライアントの意識が変容しつつあることを示す。自律的にイメージを生み出している。夢はクライアントの内なる自己治癒力を示している。
  • 無意識は、凝り固まった意識を変容させる自己治癒力を持っている。夢は無意識のもつ自己治癒力が具体的に表現されている。クライアントの心のありかたの変容を象徴的に表現している。
  • カウンセリングはクライアントの内なる自己治癒力に働いてもらうものである

 なかなか面白いラジオ放送だった。

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自分の時間のつぶし方を自分でなんとかできないのって社会人として辛いと思う

セミリタイアしてヒマじゃないですか?と聞かれると質問者がかわいそうになる

仕事の有無や趣味の有無に関係無く、つまらない考え方の人はどんな人生を選んでもヒマでつまらない人生をおくるでしょう。セミリタイアする事とヒマで困る事の直接の関係はありません。

 自分の時間のつぶし方さえ自分でなんとかできないなんて、生きる力の決定的な欠如なのではないか。人間能力の有無はあるからそれができないのはいいにしても、そのことを得意気に話せる人というのは昔から理解できない。

両方言えない事情が何かあるんだろうか

 この手の物言いで昔から不思議に思うことがある。
 上で引用したツイートに合わせて言うなら、だったら「安倍政権にも言いたい事」と「野党批判」両方言えばいいだけのことなのにどうして「野党批判」しか言わないのだろう?何かそうしたい事情・そうしなければいけない事情でもあるんだろうか??
 政権がとか野党がとかの話以外にも、この手の物言い関しては以前から素朴に疑問に思っている。

※2018/5/28追記:

 思っていることが複数あるなら複数言えばいいのに、どちらか片方のことしか言わないのは「ホント気持ち悪い」ですね。

被災地支援です!

 誰だ!「東京五輪招致のために被災地をダシにして招致決定までは復興五輪!復興五輪!と連呼していた人たちを思い出した。本当に天才だよなあいつら。」とか言ってるのは!いい加減にしないか!!!!!!!

「騒いでる意味がわからない」じゃダメでしょう。騒がないと。

 高度プロフェッショナル制度法案に関するやりとり。

 既に働かせ放題にされているのだから「騒がなきゃダメって言われても騒げないですよ、僕らはすでになっているんですから」という持論が展開されているのだが、なぜ「すでになっている」と「騒げない」のか。その考えに至った経緯を詳細に言語化すると色々なことがわかってくるのではないか?という感想を持った。すごく重要なポイントなのだと思う。

21周年

 ここに書いたこともそうだし、それ以外のところで書いたことやHDD内に書いたきり放置したものも含め、昔書いた自分の文章をたまに読むことがある。こいつ物を知らないし頭悪いなと思うんだけど、今の自分よりもはるかに文章が面白いな、と思うことが多い。

 昔の自分が何を考えて文章を書いたのか、覚えていることもあるしさっぱり覚えていないこともある。で、恥ずかしくなるようなものもあるのだけど、それも含めて、頭の良し悪しや面白い面白くないにかかわらず、とにかく文章を書いて残したほうがいいと思う。人に見せる見せないは別に考えればいい。自分自身を後で振り返ることができるか、というのは大事だと思う。昔はあまりそういうことを考えなかったけど、ここ何年かはそんな風に考えている。

 自分のことは自分が一番よくわかっている、と思いがちなんだけどそうとも限らないし、もしかして自分は自分のことを何もわかっていない、自分の状況をモニタリングすらできていない、のかもしれないのですよ。
 それでもいい時期もあるんだろうけど、そういったことに無頓着なままだと自分にとってよろしくない、そんな時期もあるんだろう。自分自身の状況をきちんとモニタリングする。それを他人に説明できるよう言語化できるようにする。それか自分にとって必要なことなんだろうなと思いつつ、たまにはここに何か書いていく。

20周年

 本当に20年経ってしまったのか、でも経ったんだよなあ。というのが正直なところ。なんか遠くに来てしまったなあ。
 20年前は今(つまり20年後)のことなんて想像できなかった。極端な話、生きているのかどうかすら想像できなかった。でも現実として今も自分はここにいる。
 20年前は、他人がそれを読むかどうかなんてことは関係なく、とにかく言いたいこと書きたいことがあってホームページを始めたことを覚えている。で、時間が経って一通り言いたいこと書きたいことはもう吐き出しつくしたのかなと思ったし実際そんな感じだった。
 ただ、今はそれとはまた別に、言いたいことというか、言語化したい・しなきゃいけないことがあると思っている。昔とは違った種類の、自分の考えていることを他人に伝わるように言語化する欲求や必要性があることは実感している。
 自分は自分のことなんてわかっていて当たり前だろと思っていたけど、全然そうじゃないと気づいたのは割と最近なので、まだここはしばらく続きます。

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