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20周年

 本当に20年経ってしまったのか、でも経ったんだよなあ。というのが正直なところ。なんか遠くに来てしまったなあ。
 20年前は今(つまり20年後)のことなんて想像できなかった。極端な話、生きているのかどうかすら想像できなかった。でも現実として今も自分はここにいる。
 20年前は、他人がそれを読むかどうかなんてことは関係なく、とにかく言いたいこと書きたいことがあってホームページを始めたことを覚えている。で、時間が経って一通り言いたいこと書きたいことはもう吐き出しつくしたのかなと思ったし実際そんな感じだった。
 ただ、今はそれとはまた別に、言いたいことというか、言語化したい・しなきゃいけないことがあると思っている。昔とは違った種類の、自分の考えていることを他人に伝わるように言語化する欲求や必要性があることは実感している。
 自分は自分のことなんてわかっていて当たり前だろと思っていたけど、全然そうじゃないと気づいたのは割と最近なので、まだここはしばらく続きます。

いろいろな生産の形

#372 アイデンティティとは、いま、そこにある捨てられずに残ってしまう何か 石川 竜一さん(写真家)

 MAMMO.TVにあったインタビュー記事。

たまたま知り合った精神科の医師と話す機会がありました。そこで話題になったのが、「治療とは結局は何なのか?」でした。

精神病院の治療とは、生きづらさを抱えて患者と呼ばれるようになった人が社会でやっていける状態に持っていくことです。そこで僕が考えたのは、「社会」とは資本主義とか生産性のことです。治療は、社会からこぼれた人を入れ直して「生産性をあげましょう」と言うようなものです。

でも本当にそうなのか。少し考えたら普通にわかるのは、別にそうである必要はないことです。もっと別の生産の形があることの方がおもしろいんじゃないか。いまの社会に適応している人だけでは行き詰まっているのだから、生きづらい人をそこに引き入れても仕方ない。

いまの多数派の人で作られている「社会」や「生産性」ではなく、もっといろんな形であり得るはず。というのも一人ひとりが違うわけだから、そこまでバラしてみたら、全部「それもありだね」で並べられるんじゃないか。そちらの方がおもしろいと思います。

 なるほどと思いつつも、「いまの社会に適応している人だけでは行き詰まっているのだから、生きづらい人をそこに引き入れても仕方ない。」という部分には引っかかった。「いまの社会に適応している人だけでは行き詰まっている」からこそ、「生きづらい人」を引き入れることも大事なのではないか、と。ただ、こういう私の考え方は「社会(石川氏の言うところの「資本主義とか生産性」)」じみた考え方なのだろうなあとも思う。
 しかし、「別にそうである必要はないことです。もっと別の生産の形があることの方がおもしろいんじゃないか。」というのも確かにその通りで、色々な形があったほうがおもしろいし、より生きやすいだろうなあと思う。

19周年

 今後の人生どうなるのかということを最近急に考えるようになった。どうなるんでしょうね。
 さて、ここで書きたいという思いが湧き上がらなくなってきたり、たまに湧き上がってもまあいいかと思うことが増えてきた。脳の働きがどんどん弱っているのだろうか。メモや記録程度のことでもいいからとにかく書いたほうがいいのだろうな。文章力はどんどん落ちている。とにかく書くということは重要なんですよ。誰よりも自分自身にとって。

18周年

 何もしなくても時間は過ぎるとはいえ、18年経ったらしいということに驚いている。18年前は何を考えていたんだっけ。何か色々書きたいことがたくさんあったような記憶がある。

 たまにはここも更新して、読んだ本のこととか書きたいんだけどなかなかできない。まあ、あまり焦らずにやっていきます。

17周年

 この一年間はまともな更新を殆どしてないなあと気づいた。
 そういえば、「”マスゴミ“に騙される構図そのままに”ネットの真実“に自ら進んで騙されにいく様子」をしばしば見かけることになるとは17年前は予想してなかった。

16周年

 放置されている本を読んだり、色々な生き方をしている人たちの記録を読んだりしている。
 機械の性能は上がり、ネットワーク容量も上がり、色々なサービスが生まれてきた。インターネットで世界は変わるんだ!と思っていたけど、本当に世界は変わったなあと思う。
 自分はダラダラやってるだけだけど、ずいぶん時間が経ったなあ。

受験生に迷惑だろ!

 2012年1月の話。

http://togetter.com/li/241334

【大拡散】反原発の方達に本当にお願いなんだが、今日明日の脱原発世界会議に伴って行われる脱原発世界大行進。是非、静かにやって欲しい。今日はさあ、センター試日本番なんだよ。絶対に、絶対に受験会場は避けて欲しい。声は丘の上の大学にも届くよ。受験生へのビラ配りもだめだよ!

https://twitter.com/#!/disneycruise200/status/158055807089512449

センター入試の会場近くでデモをやっている、なんて言ってないんだよな。そういう場所を通るなら静かにやってね、って言っているんだよ。まあ、短い言葉で読み取れない人もいるかも知れんが。センター入試って大学だけじゃなくて色々なビル借りてやるからね。

 上記の発言で「脱原発世界大行進」と「センター試験」という、具体的なイベント名が出ていたので、これらについて調べてみた。

 まず、「脱原発世界大行進」なるイベントのデモ行進ルートは以下の通り。この時のデモ行進ルートは横浜市内。
http://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=204469348973862279411.0004b514604f3454a8a76&msa=0&ll=35.458363,139.637561&spn=0.033243,0.057678

 そして、センター試験の会場は大学入試センター公式サイトにて公表されている。2012年(平成24年)の試験場一覧は下記の通り(PDF注意)。神奈川県の試験場一覧は18ページに記載されている。
http://www.dnc.ac.jp/modules/file/index.php?page=visit&cid=76&lid=1014

 第三者の存在(この場合は「センター試験受験者」)を出して「この人達に迷惑がかかるだろ!」というテクニックを使うのもいいけど、まずは事実関係を確認して、そのテクニックが使えるかどうかを確認してからにしたほうがいいよね、という教訓。
 「そういう場所を通る」かどうか、「センター入試って大学だけじゃなくて色々なビル借りてやる」かどうかは公式に公開されている情報から簡単に調べることができるのだから。

衣替えで季節を実感するんですか

 最近あまり人前に出ないんで今でもこういう物言いがあるのか知らないけど、「衣替えで季節を実感するねえ」ってアレ、昔からすごく違和感がある。別にそういう発言自体はいいんだけど、あの手の言葉って「私は皮膚感覚で季節を実感できません」って言っているように聞こえてしまうんだ。

 以前は「何月何日から衣替え」ってのが毎年同じ日に決まっていて多くの人がそれに従っていたと記憶しているけど、最近は色々な事情で「何月何日」の部分も人によってまちまちになっているように見える。「何月何日の季節の変わり目としての衣替え」って認識が広く共有されていた時代も過去のものになるのかならないのか。

理不尽に対する耐性

 他人に向けて「理不尽に対する耐性」とかしたり顔で言うヤツに対しては骨の二、三本+目玉一つくらい潰してもいいと思う。それで恨み言を言い出したら「理不尽に対する耐性」が足りないということなので。
 他人には理不尽への耐性を要求するけど自分自身に対する理不尽は受け入れないと言うのなら、そいつは受けた躾や教育がなっていないので両親や小学校当時の担任を呼びつけていい。

年収○○円あれば全世界年収ランキングの上位××%に入る

http://blogpal.seesaa.net/article/88037108.html

参考までに述べておくけど、年収300万円でも、上位9.44%になる。

たぶん年収三百万円の人は、自分なんて、底辺クラスだと思っていると思う。日本という国でみれば、それは正しいかもしれないけれど、全世界的にみれば、とんでもない金持ちなわけ。これは現実なの。

日本がどれだけ金持ち国家かわかるよね、これで。そして日本人がどれだけ金持ちかも。底辺の労働者ですら、世界の上位10%なわけ。

そもそも、年収10万円でも、TOP 49.22%に入っちゃうの。これが世界の現実。

 上記のような物言いは一時期頻繁に目にした記憶があって、その当時から素朴に疑問なんだが「国や地域によって物価が違う」という「世界の現実」は私が思っているほどには浸透していないんだろうか。

 「国や地域によって物価が違う」という現実から目を逸らさないとやってられない情況があるのか、冒頭のようなことを吹き込んでそのように思いこませる/吹き込まれてそのように思いこむことを強いられている 人たちがいるのか。

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